日本の農業は現在さまざまな問題を抱えています。農業人口の減少、農業従事者の高齢化と後継者の不在、食料自給率の低下などです。このままの状態では輸入が途絶えればたちまち日本は食糧危機に直面してしまいます。一方、世界の農業でも日本のそれとはまた異なる問題が存在します。 なぜ、そのような多くの問題が起きるのでしょうか。それを知り、問題の改善策について考えていくためには、まず近年から現代に至る農業の歴史について知る必要があります。
紆余曲折の道をたどる戦後の日本の農業
戦前から戦後にかけての日本の農業で最も大きな変化といえば、なんといっても農地改革でしょう。これは国が地主から農地を買い上げ、小作人に分け与えるという政策であり、これによって、今までは収益の相当分を地主に支払わなければならなかったところを働いて得た収穫をすべて自分のものにできるようになったわけです。そうなると、当然、労働意欲は増し、農作物増産に励むようになります。そのことが、戦後の食糧難から脱する大きな原動力にもなったのです。 しかし、一方で、小作人に農地を分け与えたことによって一農家当たりの経営規模が非常に小さくなったため、農作物の生産効率の悪さが問題になってきます。これではいくら労働意欲があっても農地から得られる利益は頭打ちになり、農家の生活が立ち行かなくなる恐れがでてきました。そこで、国は米の価格を上げて農家の所得を維持しようとします。ところが、今度は米価格の上昇と日本人の食生活の変化によって米が余るようになり、1970年より減反政策が導入されます。米の価格を上げる代わりに、作る量を減らせというわけです。これによって、日本の農業は生産の効率を上げてコストを下げ、大量生産による低価格化を目指すという資本主義産業本来の方向とは真逆の道を進むことになります。
先進国の中で圧倒的に低い日本の食糧自給率
米が大量に余るようになった結果、国は水田を減らし、全体の4割を転作して採算調整を行おうとします。しかし、高値が国から保障されている米の方が他の作物より利益率が高いため、農家としてみれば米以外のものを作るメリットが見いだせず、転作は思うように進みませんでした。次第に農作物の生産量は減少し、日本は食料の多くを外国に頼るようになったのです。 現在では日本で消費される麦のじつに9割が輸入によって賄われており、1965年には73%あった食料自給率も2015年には39%まで落ち込んでしまいました。ちなみに、アメリカ、ドイツ、フランスなどの食料自給率は100%を超え、オーストラリアに至っては200%以上を記録しています。少なくとも、先進国の中で日本ほど自給率の低下した国は存在しません。 ただ、この自給率というのは飽食の時代である現代社会の食生活を想定して計算されたものです。したがって、輸入がすべて断たれたとしてもすぐに食糧がなくなるというわけではありません。日本の全農地を活用し、消費者も贅沢をしなければ日本人全員をギリギリ養う程度の農作物の生産は可能だといわれています。もちろん、それだけでは心もとないのは確かなので、国も食料自給率をせめて50%程度には引き上げようと方策を練っているのですが、実を結んでいないのが実情です。
世界の大規模農業における土と水の問題
日本の農業は確かに大きな問題を抱えていますが、それではアメリカやオーストラリアなど、食料自給率の高い国では何の問題もないかといえば決してそんなことはありません。自給率の高い国の農業は大規模農業が中心です。広大な土地を活かしてスケールの大きな農耕を行っています。例えば、周囲に川などの水がなくても、広大な土地があれば地下から水を大量にくみ上げてそこを農地にしてしまうわけです。非常に手っ取り早い方法ではありますが、これには弊害もあります。無尽蔵のように見える地下水にも限りがあるため、何年、あるいは何十年か経つと農地として使えなくなってしまうのです。しかも、地下水というのは長い年月をかけて蓄積されたものなので一度干上がってしまうとまた溜まるのに長い年月が必要になります。 また、土地が広いからといって大型の農耕機械を使って派手に土を掘り返すとその土が風に吹かれ、あるいは雨水に流されて遠くに運ばれていきます。土壌流亡という現象です。土壌流亡が起きると、肥沃な土が流出することで農地の生産性が低下するうえに、大量の砂塵を引き起こすなど自然環境にも深刻な影響を与えます。いずれも、効率化一辺倒の農業の弊害です。 このように、農業問題には日本における食料自給率の低下から世界規模な環境破壊までさまざまな問題が混在しています。決して生産量を増やせばすべて解決といったような単純な話ではないことを理解してそれぞれの課題に取り組んでいく必要があります。