profile
- 名前
- 髙橋 俊之
- 出身
千葉県 - 年齢
38歳
横浜の消防士が山形の農家に転身!
米沢牛を代表する名産品や、上杉家・伊達家といった有名戦国大名にもゆかりのある地、山形県米沢市。
今回インタビューを行った髙橋さんは、ここ米沢に2020年に移住。新規就農者として「農園 成」を自ら立ち上げた。就農2年目にあたる現在は、茎ブロッコリー、アスパラガス、里芋、枝豆、赤かぶを栽培し、経営は研鑽を積みながら自身の計画通りに進捗。また、JA山形おきたま青年部・米沢地区塩井支部の盟友としても精力的に活動している。
今回インタビューをおこなうにあたって何よりも驚いたのが、髙橋さんは元々横浜市で消防士として働いていたことである。実際の業務内容や状況にもよるが、一般的には身分や金銭面において将来の安定が見込まれる仕事に就き、ご家族と共に平和に過ごされていた髙橋さん。なぜはるばる米沢で農家として独立し、どんな将来像を描いているのか。インタビューを通して迫ってみた。
新規就農を目指す
消防士として、事務部門等を統括する「消防本部」に勤務していた髙橋さん。元々独立思考を持っており、消防関連の仕事での起業などを中心に機会を探っていたが、現在の奥様との結婚を機に考え方が変わった。奥様の両親が山形県南陽市で兼業農家を営んでおり、「農」に触れる機会が増えたのだ。そしてご両親から様々な話を聞いたりニュースなどを見て過ごすうちに、農業界が深刻な「担い手不足」の問題を抱えていることを知る。髙橋さんはこの日本国が抱える大きな課題と自分が経営者になる目標を融合させ、自ら農家として活躍し「日本を元気にする」ミッションを描き出し、新規就農に向けて舵を切る決断をした。
「石橋を叩いて渡るタイプなので」
いざ新規就農に向けて、消防士の仕事と営農の勉強・実体験をすべて同時並行で行ったという。まずは近隣の自宅から通える範囲で、知り合った農家に畑を借りた。育てた野菜は実際にスーパーや飲食店に持参し、商品価値などを聞いて回った。ここで、将来実際に農家として生計を立てていく上での自信を得たという。消防の勤務日は22時まで働き、その後農業に関わる本を読むなどして勉強。そして翌朝4時からは借りた畑で農作業。さらには、奥様の実家がある山形県の南陽市、米沢市、寒河江市、そして関東では農業が盛んな茨城県の新規就農に成功された方を調査し、現地訪問や電話で営農に関するわからないことの質問や悩み相談を行ったという。責任のかかる公務を日々こなしながらの行動ということで一見ハードに見えるが、この期間のことについて髙橋さんに訊ねると、
「元々消防の仕事は好きだし真剣にキャリアも積んでいたが、それ以上に大きな夢を持ちたいとも考えていました。現地で土や設備に触れて多くの人と出会うことで色々勉強になりました。大変ではあったが、それでも農業でチャレンジしたいという気持ちは変わらず、とても楽しかったです。むしろ、やっぱり農業で勝負したいと思ったし、描くべき大きな夢として相応しいと思いました。」
と、清々しく答えてくれた。強い信念を持つことは、新規就農で成功するための一つのカギなのかもしれない。
自分の力で積極的に農業について学ぶ髙橋さん。当然独立農家になれば土いじりだけではなく経営全般の能力が必要になるため、栽培に関する知識以外にも取引価格のこと、設備のことなど、多くの生の情報や意見を集めた。そういった声も参考にしながら具体的な自己資金や必要経費の計算も綿密に行っていく中で、「これなら実際に問題なくやれる」という手応えを掴んだという。「私は石橋を叩いて渡るタイプなので」と話す髙橋さんだが、自発的に農業について学び行動する姿勢、目標達成のために労を惜しまない姿勢には頭が下がるばかりである。
納得できる移住地の選び方
新規就農の地として山形県米沢市を選んだ理由はいくつかあったという。
まず第一に家族のことだ。既に結婚し子供もいた髙橋さんにとって、「消防士を辞めて田舎に移住して農家になる」という挑戦は、他人の人生も巻き込む大きな決断だ。そこで、奥様の実家がある南陽市・・・だと両親に近すぎて色々頼って甘えてしまうと考え、同じ置賜地域の米沢市を選んだ。奥様の出身校もあり友人も多いということもあった。移住先を選ぶ際の検討項目として家族がより安心できる生活環境を選ぶことは、決して優先順位の低い事項にはならないという例でもある。
そしてもう一つ、無論のこと農業的な理由もある。前述の通り、髙橋さんは多くの地に足を運んでは農業を学んだ。その際に、現地の地質や気候などの特徴も調べていた。特に山形県の置賜地域内と絞った後も、何度も自分で各市町村を車で回り続け、最終的に水はけの良い米沢市が最も適していると判断。消防士時代から長く勉強を続けていた茎ブロッコリーの栽培に適した地質だったこともあり、現在も山形県が注力しているアスパラガスや里芋等と共に取り扱っている。
就農一年目は計画通り。成功の秘訣をきく
農業研修生になったり農業学校に通ったりはせず、自分の手足と頭を使って農家になった髙橋さん。苦労話でも聞かせてもらおうと思ったのだが、石橋を叩いて渡った成果なのか一年目から目立った失敗は無く、就農前と大きなギャップも感じずこなすことができたという。「新人は研修を受けておけと言われたりもしたが、いろんなプロの先輩に直接教えてもらったり、沢山の方に支えてもらう事で何とか一人でできました。基本的には元々の経営計画通りに進んでおり、2年目でここまで順調にできるとは思わなかったです。もちろん、スマートになんか出来ず、毎日がむしゃらにやっていますけど(笑)」と、前向きな明るさの中に、人知れない努力と周囲への感謝の気持ちが込められた感想を聞かせてくれた。
成功の秘訣としては、「仲間たちとの協力」は特に重要だという。まず消防士時代に米沢市内に視察に来ていた頃に知り合い親切にしてくれた農家がいて、新規就農後はその方がリーダー的存在になっているグループに入れてもらうことができた。元々自己資金ですべて賄っていこうとしていた所に、資材や機材の一部をもらえたりする機会もあったり、畑仕事・収穫~出荷作業・情報交換など、皆で協力しながら共存ができているとのこと。さらに米沢市では新規就農者のコミュニティが存在し、月に一回のペースで集まって悩みの共有や情報交換などを行っており、とても有意義に機能している模様だ。「自分は運が良くて良い人にたくさんお世話になっている」と話す髙橋さんだが、本人の圧倒的な行動力によって作り上げられた素晴らしい人脈であるようにしか見えず、新規就農や地方移住の成功要素としてよく挙げられる「自分から積極的に交友関係を作りにいくことの大切さ」がわかる好事例だ。
髙橋さんが描く夢
新規就農を目指す際には、家業を継承する、農業法人に就職する、自治体の農業研修生として学ぶ、農業大学校で学ぶ、などの様々な方法があるが、髙橋さんのように完全に自力で道を切り拓く方がいることを知っていただけたと思う。そしてそんな髙橋さんが、多くの方が苦戦しやすい創業期を順調に歩んでいる。農業に限った話ではなく、入念な準備と強い信念、そこに裏付けされた行動力が伴った時に成功の道筋が現れ、それはラッキーではなく努力による必然なのであろう。
最後に、髙橋さんが描く今後の夢について聞いた。
「独立しなくても農業で生活できる人が増えるように、いずれ自分で会社を設立して規模も拡大し、社会に必要とされる企業にしていきたいです。農業人口が減っていて、このままのペースだと管理する人がいなくなり農地自体が消えると言われているが、実際に農業を始めてみて、人手の足りなさは実感しました。元々自分が農家として立ち上がったきっかけが農業の担い手不足の課題を知ったことなので、そういったところに何か役立つような、日本を元気にするような企業になりたいです。それと、もし就農などについて悩まれている方がいれば、伝えられることもたくさんあるので、自分のところに相談でも何でも来てほしいです。」
★本記事については、山形おきたま農業協同組合 営農経済部 営農企画課までお問合せください★